◯ 港ばやし保存会の設立経緯
 港ばやし代表4会派は、昭和22年港和会、同28年娯笑会、同31年しぶき会、同49年若波会が設立されました。港和会以外の団体については、残念ながら、本会からの分派により、派生した会です。
 父、和合谷直蔵から正調港ばやしを受け継いだ和合谷慶宣は、戦後、土崎以外の近在近郷囃子奏者の協力を得て、祭典の囃子方が維持されていることに、その衰退を憂いていた父からの、「このままでは、伝統は守れない、正調港ばやしの復興のため団体を作れ」との進言により港和会を設立しました。
 師は、強い意志とプライドを持って、多数の先輩奏者の協力を受けながら、港ばやしの復興と伝承に携わり、芸道の追求、後進の指導、演奏者の地位向上に励み、さらには私費を投じて、今日の港和会の礎とその隆盛を築いてこられました。
 昭和55年10月、その4会派が集結し、港ばやし保存会が立ち上げられました。
 小畑勇二郎秋田県知事が知事職を退いた次の年、昭和55年、同氏に本会和合谷慶三郎先輩が「港ばやし」の無形文化財への格上げを直訴および文書により訴えたことがきっかけとなり、当時、秋田市職員の本会会員、櫻田隆先輩が各会同年配者と調整を図り、設立に至りました。初代会長には、外部から、宮崎金一氏が就任しその後、息子の宮崎良氏が後を受け継ぎました。

◯ 港ばやし保存会の運営
 設立当初から、港ばやし保存会(以下、「保存会」という)の運営は、その役員会が執行部として進めていましたが、各会派の同意により、懸案事項への対応を決定し、一会派でも反対の事項については、執行しないという暗黙の体制について、各会派了承の上進めてきた実態があります。それは、各会派が設立以来、相当の年月が経過し、それぞれの団体における、様々な重要な事情があることからであり、それらを団体が許容した形で現在に至っているものと認識しています。
 なお、保存会運営上の明確なルール等について主な事項を示すと以下のとおりです。
・ 規約上、会員の構成は、港ばやしを愛好する者としているが、会員は4会派の連合会形式であり、役員は4会派から同様の人数を選出している。
・ 禁止事項、除名および除名該当事項の条項は設定されていない。
・ 平成22年度からは、前宮崎良会長が、会員による会長選任を推奨し、任期途中で退任し会員の中から選出されており、4会派の会長が輪番制(建制順)で会長を務めることとしている。
・ 平成28年度の総会における規約改正では、最高議決機関であるはずの総会で決定した議事案件は、各会代表の承認によらなければ成立しないこととされている。

◯ 脱退の経緯
 今まで、保存会がその運営のため、その総会や役員会で決定し、執行してきた事項は、保存会の活動時にのみ適用されることが原則であり、各団体単独の活動時には適用されない、と認識していました。
 これは、4会派が集まり、連合会の形態で組織された実態から当たり前のことと思います。その大前提は、それぞれの会派に、それぞれの先輩達から受け継いだ伝統や特徴を守り維持していくという使命があるからに他なりません。
 ところが、コロナ禍となった令和2年度、保存会は年度内の活動停止を決定し、各団体の活動の可否については、曖昧な形であったことから、当会より明文化するよう要請しましたが実現できませんでした。
 当時の社会情勢としては、イベント等開催に関しては、その時々の感染状況を勘案して、その開催の可否を決定しており、殆どの機関が秋田県の判断した感染レベルにより、開催の可否が決定されていました。
 しかし、保存会は、会派単独の演奏活動に対する柔軟な対応を拒み、本会以外の会派の単独活動が行われても、本会の単独活動のみを非難し、最終的には、「三会派総意の下、度重なるルール違反により、今後の進退を決定してほしい」と、脱会を求めると取れる通告がなされました。
 それに伴い、本会は、進退を判断する上で、令和5年5月26日、他3会派各会長との協議を要請しました。
 協議では、「保存会のルールに従わないのであれば、港和会として、退いてほしい。従うのであれば、そのままでいい。」と通告されました。
 また、本会としては、「保存会は、設立以来、各会派存続のまま、それぞれの会派の活動を尊重するとともに干渉しない方針で運営されてきたと認識している。その方針のままであるならば共に活動していくことはできるが、最近はかなり違うと感じており、今後も変わりがなければ、本会としても、共に活動できないと考える。なお、「退いてほしい」ということは、実質的に「辞めろ」ということと同じである。保存会規約には、除名規定や、懲罰規定は設定されていないことから、不当な要求だと考える。」と運営方針の転換およびその正常な運営を要請しました。
 それに対し、「これからは、保存会一本で、その中で切磋琢磨して伝統を守って行くべきと考える。」という回答があり、本会の「それでは、将来は各会派の名称も無くし、一つになると言うことか」と聞いたところ、「それが最終的な姿になると考える。」と一つの会派の会長から回答がありました。その際、他の会派の会長からは、何の反論も無く、同意していると解釈されました。
 それは、もはや他3会派は、「諸先輩達が培ってきた自会派の伝統や特徴を守り、その技や歴史を伝承していくという伝統芸能・民俗芸能の本来の主旨」は捨てられたと判断する瞬間でした。
 また、保存会の人数構成を考慮すると、本会は4会派の中で最も多くの会員が所属していますが、他3会派と対比した場合、その人数には及びません。今後の活動方針等において、多数決により本会がどうしても受け入れることが出来ない事項が決定されてしまう可能性を排除できないことから、保存会への加入を続けることは、本会の「正調港ばやし」を保存伝承する上では、大きな障害になるとともに、本会諸先輩に顔向けできない事態と考え、甚だ残念極まりありませんが、令和5年度の本会定期総会および臨時総会の決議を経て保存会脱会を決定したものです。

◯ 本会の今後の姿勢
 この度このようにお騒がせをし、得意町内の皆様をはじめ、土崎の住民の皆様には、ご心配とご迷惑をお掛けいたしましたことに、心からお詫び申し上げます。
 誠にもって、残念な結果となりましたが、本会においては、正式な手続きのうえ、保存会からの脱退という判断をしました。これに対して、どうしても受け入れることが出来ない10名以上の者が、令和5年12月、本会を脱会しました。先般、新会派を立ち上げ保存会に加入した旨、聞き及んでいます。

 本会は、他会派との関係において、敵対することは、当然、微塵も考えておりません。今まで同様「港ばやし」を愛する者として、友好姿勢をもって接し、活動していくことに何も変わりはなく、益々、融和団結の下、設立当初の念(おも)いを旨に諸先輩達が我々に残してくれた「正調港ばやし」の保存伝承に務めるという本分を忘れずに、努力を続けていくことをお約束申し上げます。